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相模原市のおすすめ斎場と葬儀体験談

相模原市には3つの区があります。
それぞれの区に斎場はありますが、神奈川県の他の地域に比べると非常に少ないです。

どうしても希望する葬儀を執り行えそうにないならば、他の地域の斎場を選んでも良いかもしれません。

ですが、相模原市には火葬場が併設された比較的大きな斎場があります。

小規模な葬儀から大規模な葬儀まで柔軟に対応してもらえるので、それほど困ることはないでしょう。

相模原市の火葬場が併設されている斎場

相模原市の火葬場が併設されている斎場は、「相模原市営斎場」です。

相模原市営斎場は、相模原市が運営している斎場なので、市民は通常よりも低料金で利用できます。

故人または喪主が相模原市在住の場合は、是非相模原市営斎場を利用したいですね。

葬儀後に火葬場に移動する手間が省けるだけでなく、市民なら火葬料金まで無料になるのでとても経済的です。

相模原市営斎場には、70人まで収容できる小式場と、100人まで収容できる大式場があります。

小規模な葬儀から大規模な葬儀まで柔軟に対応してくれるので、
相模原市で葬儀を執り行うことになった場合には、まず相模原市営斎場に問い合わせてみると良いかもしれません。

大きな斎場なので年間を通して混み合っていますが、スムーズに予約を入れられれば問題なく利用できるでしょう。

相模原市のその他の斎場

相模原市営斎場が予約で埋まってしまっている場合には、
その他の斎場で葬儀を執り行ってから、火葬のみ相模原市営斎場で行うと良いでしょう。

「極楽寺光明会館」や「西善寺斎場」など、寺院が運営している斎場がいくつかあります。

どちらの斎場もそれほど大きなものではありませんが、最寄り駅から徒歩で向かえる場所に立地していてとても便利です。

式場が貸し切りタイプで他の喪家を気にせず葬儀を執り行えるので、アットホームな葬儀をしたいと考えている場合にもおすすめです。

火葬場が併設されていない斎場なので、火葬を行うときに相模原市営斎場に移動しましょう。

相模原市の葬儀体験談

父の葬儀を終えるまで一緒に居られて良かったです

最近の葬祭場ではお通夜と告別式の際、一旦帰宅してくださいという所が多いと聞きます。

私が父の葬儀の際利用した葬祭場は、宿泊も可で、夜中も父が淋しくないように棺のそばにいることも許可していただけて本当に嬉しかったです。

ただし火災の危険があるため、夜中お線香をともすことは出来ませんでしたが…

昔なら火葬するまで、故人のそばに必ず人がいて寝ずの番をし、お線香の火を絶やしてはいけないと言われていましたが、最近ではそうは出来ないんですね。

参列の親戚も遠方から飛行機で来ていただいた方ばかりだったので、その点においてもとても助かりました。

なかなか会うことが叶わなかった親戚とも、葬儀という場にはなってしまいましたが、少しでも長い時間を一緒に過ごせてよかったです。

何より私たち家族が、火葬までの間父を独りぼっちにさせることなく、一緒にいてあげられて本当に良かったです。

斎場建設の際は近隣住民とのきちんとした話し合いが必要だと感じました

祖母の葬儀を相模原市内のとある斎場で行った時の事です。

その斎場は周辺住民の反対がある中造られたらしく、周辺には斎場反対というのぼりが立っている家が数件ありました。

祖母が会員になっていた冠婚葬祭互助会の自社斎場の中から近い場所を選んだだけだったのですが、
当然ながらあまりいい気分ではないし、参列者の方にもどう思われているのかと少し不安になりました。

その後、祖父の葬儀の際にも同じ斎場を利用したのですが、少ないながらもまだのぼりを立てている家がありました。

実際に近隣に住んでいる方からすれば、斎場が家の近くにあるというのは気分のいいものではないかもしれないのですが、
祖母の葬儀から6年が経っており、移転・取り壊しもないだろうし、実際に利用する側からすれば下げてくれればいいのにと思わずにはいられませんでした。

昔ながらの風習が、しっかり残っているあたたかい葬儀

神奈川県と言うと、多くの人が一番に思い浮かべるのは、おそらく横浜市、川崎市といったところだと思います。

地方から嫁いで来て5年。

専業主婦ということもあり、会社関係の葬儀はなく、主人や私の身内にも不幸はなかったのですが、もうすぐ90歳になる主人の祖母が亡くなりました。

祖母の友人たちは、既に亡くなったり、施設に入っていらっしゃる方が多いらしく、
葬儀の準備は長男である義父が中心に取り仕切ることになりました。

祖母の自宅での葬儀に参列されるのは、身内以外はご近所の方がほとんどで、手作りで、おにぎりやぜんざい、酢の物など、婦人会の皆さんの指示で作りました。

仕出しは取らないのかな?と不思議に思いましたが、高齢の祖母はむしろ手作りのほうが嬉しいのかもしれない、と納得しました。

ですが、お坊さんが帰ったあとに仕出しが届き、男性の参列者だけ、それを食べていました。

葬儀が終わって主人に尋ねると、昔からの風習でそれが普通だと思っていたそうです。
土地ごとに、様々なのだなと感じました。

最期は立派で勇ましい姿で旅立っていった父

2年程前、父が亡くなりました。
喪主・施主はそれぞれ母と兄がし、わたしは親族として父の葬儀に参列しました。

葬儀場は父が生前仕事で交流のあった会社関連の葬儀会社に頼みました。

通常亡くなってから葬儀をあげるまでは数日、長くても一週間ほどかと思いますが、父の場合はお寺や葬儀場の都合で亡くなってから葬儀をあげるまで10日かかりました。

さすがに10日間だと遺体が傷んでしまいますので、エンバーミングを施してもらいました。

エンバーミングなんて言葉は当時私も母も知らなかったのですが、簡単に言えば遺体の腐敗を防ぐ処置です。

エンバーミングを施してもらった父は、火葬されるその時までまるで眠っているかのような自然な状態でいる事が出来ました。

お通夜の前に、親族だけで納棺式というものをやりました。
葬儀社の方が何枚もの大きいガーゼを折り曲げ、横になっている父の体に次々にガーゼを被せていくのです。

そのガーゼはいく様にも折り重なって、最終的にはまるで立派な白い着物をきている様な姿になりました。
それはそれは見事な手さばきで感動しました。

生前は仕事人間で頑固ですが男らしく勇ましかった父にとても良く似合っていました。

そのまま父は納棺され、通夜・告別式を終えて旅立って行きました。

父との別れはとても辛いものでしたが、最期は立派な姿で送る事ができて良かったと思います。

小学5年生の頃、親友を亡くして葬儀に参列したときの気持ち

私が小学5年生の頃、
当時の同級生であり、サッカー仲間であり、親友でもあった友人を、
ある事件で亡くし、葬儀に参列したときの気持ちについてお話をさせて頂きます。

今でも良く当時のことを覚えているのですが、友人を亡くしたその日、私は習い事であったサッカースクールがたまたま休みでした。

連絡網を見てその友人を遊びに誘おうか迷い、結局「いつも遊んでいるから今日はいっか。」と誘いませんでした。

その夜に家族で夕飯を食べに車で、その友人の家の前を通ると、友人の家はブルーシートで覆われており、2日くらい後になってその友人が亡くなったことを知りました。

その日もし自分が遊びに誘っていたら友人は亡くならなくて済んだかもしれないと後悔し、悲しみと悔しさと申し訳なさいっぱいで葬儀に参列しました。

沢山の人が葬儀には参列しており、とても色んな人に愛されていたんだなと思いました。

また、顔を見せてもらった時には涙が溢れ出てきて、大声で泣いてしまいました。

ついこの前まで一緒に遊んでいた人が、もう二度と動かないのだと、
次の日にはもう普通の日常が待っており、何事もなかったかのように世界は進んでいくのだと、
幼いながらも命の儚さを学びました。

この記事を書いた人

古橋 篤(ふるはし あつし)

チームで支えるお葬式

数年前に父を亡くした時、東京葬儀にお葬式を依頼しました。
その時の担当プランナーに助けてもらったこと、東京葬儀の想いに共感したこともあって、今の自分がいます。

自身の経験から、お客様の負担、不安を取り除き、最後のお別れに想いを向けていただけるよう心がけております。

お客様の声をよく聞き、その想いを実現することが私の仕事だと考えます。

心に残ったこと

自分が育成したプランナーがご家族から「ありがとう」と言われている姿を見たときです。

しっかりとご家族とコミュニケーションをとり、提案し、一緒にひとつのお葬式を創り上げている姿をみたときは東京葬儀の想いが受け継がれていると嬉しい気持ちになりました。

出身:東京都

趣味:バレーボール、料理

好きな映画:「リトルダンサー」

好きな音楽:クラシック