【東京葬儀】「ちょうどいい家族葬」専門店

川口市のおすすめ斎場と葬儀体験談

川口市には、寺院が運営している斎場が数多くあります。

中には大規模な葬儀を執り行える斎場もありますが、火葬場が併設されている斎場はありません。

川口市の斎場で葬儀を執り行う分には良いのですが、火葬まで行いたいときには他の地域の斎場に移動する必要があります。

川口市の斎場を調べるときには、火葬場が併設されている斎場も一緒に調べておくと良いでしょう。

川口市のおすすめ斎場

川口市には、小規模な葬儀を執り行える斎場から、大規模な葬儀を執り行える斎場まで揃っています。

小規模でアットホームな葬儀を執り行いたい場合には、「正源寺会館」や「法性寺玉龍会館」がおすすめです。

どちらも40人まで収容できる式場があり、小規模な葬儀に向いています。

正源寺会館の式場は貸し切りタイプなので、他の喪家を気にすることなく葬儀を執り行えるでしょう。

通夜料理や精進落としの料理は、正源寺が指定した料理屋のみ利用できます。

法性寺玉龍会館は、500年以上の長い歴史を持つ斎場です。

小規模な葬儀が執り行われることが多く、家族葬などに向いています。

大規模な葬儀を執り行いたい場合には、「新隆寺法要殿観音堂」や「密蔵院松雲閣」がおすすめです。

どちらも大きな式場を備えているので、多くの参列者を集めて大規模な葬儀を執り行えます。

川口市の近隣の火葬場

川口市内には、火葬場が併設されている斎場がありません。

そのため、火葬を行う際には近隣の火葬場に移動する必要があります。

東京都板橋区の「戸田斎場」や草加市の「谷塚斎場」には、火葬場が併設されています。

川口市の斎場から比較的近い距離にあるので、無理なく移動できるでしょう。

大きめの斎場なので、参列者が自家用車や電車を利用して各々で移動する場合にも、再び集まりやすいです。

川口市の斎場を手配するときには、火葬場も同時に手配してしまいしょう。

火葬場に移動するときの霊柩車やマイクロバスの手配も忘れないようにしたいですね。

川口市の葬儀体験談

親族の気持ちが伝わって感激しました

私は2年ほど前に葬儀に参列いたしました。

その際の経験は今でも良い思い出としてはっきりと覚えております。

友人の葬儀でしたが、親交が非常に深い関係でしたので悲しかったのですが、親族の気持ちが伝わってき、感動することができました。

それは、葬儀の際に過去のアルバムが映し出されたことです。

故人の人生をひとつひとつ感じることが出来き、参加者は全員感動しておりました。

みんなが挨拶をした際は、故人を思い出され非常に感激してしまいました。

喪主の方とは親交がなく、まったくどのように対応したらよいかわからなくなってしまいました。

しっかりとポイントを抑える必要があります。

私も今後葬儀を行うときがきますのでしっかりと準備を行いたいです。

理想と言える葬儀で有り、自分自身もこんな風に送って頂ければと言う思いです。

親戚のおじさんが交通事故を起こし他界した際に葬儀が行われ私も家族代表として出席しました。

場所は自宅で取り行われ私自身もお茶係として協力しました。

元々教師をしていたことから、その同僚の方や教え子の方が多く、参列していただいた方の殆どが、その関係者でありました。

お茶係をしていた際に生徒さんからおじさんの思い出話を聞かせて頂きました。

その中で大変印象に残った事が、試験中に一緒になって勉強していた事や、受験に合格した際、子供のようにはしゃいで喜んでくれたりした話を聞いたことです。

またそうやって話している生徒さんを見ていると親的な存在であったように見受けられました。

私自身おじさんの事をそんな風に感じた事は無く、もしろ堅物のイメージでありました。

ですが、このような事をこの席で言って頂けるという事は最高の言葉と言え、理想の葬儀と思えました。

私自身もいずれか他界する訳でありますが、こんな風に見送って頂ければ理想ですが。

お孫さん代表の挨拶、そしてピアノ演奏に涙。

家族葬が多くなってきた今日この頃ですが、職場のお母様が亡くなられ参列させて頂きました。

都会では淡々と故人を偲び、最後のお別れをする葬儀のイメージがありました。

しかし、こちらのご家族は愛情あふれ、故人にたくさんの感謝を残される心温まるお葬式でした。

びっくりしたのが、ピアノを習われていらっしゃるお孫さんのキーボードの演奏でした。

亡くなられたおばあ様に今までのお礼とずっと好きだよと言うお手紙を読まれ、おばあ様が大好きだったと言う世界にひとつだけの花を演奏されました。

今までにこの様なお葬式に参列したことがなく大変びっくりしました。

故人にとって可愛くて仕方なかっただろうお孫さん。

最後の別れに素晴らしい贈り物だったと涙がながれました。

喪主としての責任感におびえていたとき、父に「胸を張れよ」といわれました。

私の実家は川口市のちょうどヘソの部分。

私は仕事の関係で大阪に出てきていたが、両親とは同居せずに一人暮らしをしていました。

ちょうど会社の社員食堂で私が昼食をとっているとき、普段は夜にしか電話をしてこない母からの着信があり、「これは何かあったのだろう」と不安に感じました。

その不安は的中することとなったのですが・・・。

◆【喪主としての責任】

本来ならば喪主は母ということになるのですが、母は父の急死に際して体調を崩し、通夜にも参加できない状態であったので、
通夜当日に葬儀屋(近くのメモリアルホール)さんと相談して、息子である私が喪主を務めることとなりました。

喪主としての義務、その最たるところは「葬儀」を滞りなく済ませるということ。

それに限るのではないでしょうか。

そのためにも喪主として私が頭を悩ませる、二つの事柄がありました。

◆①焼香の順番について

まず葬儀屋さんから渡された紙のなかに「焼香順」というのがありました。

母が葬儀に出られるのかどうか不安だったので、私を一番として、母を二番としました。

そこからは私にとって叔父や叔母や親族の順番になるのですが、
早い順番を謙遜して遠慮する親族もいれば、とにかく順番の正当性を気にする親族もいて、なかなかまとめるのが難しいものでした。

ここに本家や分家の問題も絡んできたことで、より一層、複雑になりかけていました。

結果的にいろいろな人の意見を聞いても迷ってしまうだけなので、私自身がこれでいいだろうという焼香の順番を決めて、葬儀屋さんへ提出することにしました。

こういう時、おかしな話ですが、無理に完璧にしなくてはと考え込んでしまうより、失敗して当然、
「気が動転しているのだから」という弁明が有効になりますので、喪主として思い切ったほうがいいと感じました。

◆②葬儀へ参列していただいた方々への遺族代表のあいさつ

私は口下手ですので、大勢の前で何をいえばいいのか、また上手なあいさつができるのか自信がありませんでした。

そのことを正直に葬儀屋さんにお話しすると、「冠婚葬祭のあいさつ」というマニュアル本を持ってきてくださって、
それを参考にすることで無事にあいさつを乗り切ることができました。

あいさつのとき、上手にしなければという気負いが多すぎた私は、途中で何度も声を詰まらせてしまいましたが、そんなとき故人となった父から

「死んだのは俺だ、お前が死んだガチョウのような声を出してどうする。胸を張れよ。深呼吸をしろ。胸じゃない、丹田だ」

と言われて、背中を押してくれたような気がしました。

今になって考えれば、あれは父が赤面症の私に与えてくれた、愛ある試練だと受け取っています。

沢山の参列者に見送られる故人の人柄を感じる葬儀でした

叔父が長年の闘病から開放され最期は穏やかに旅立ちました。

斎場が混み合ってる事もあり葬儀まで日数があったのですが、
黄疸気味だった肌の色も綺麗にお化粧して戴いたらしく御家族の皆様も大変喜ばれてました。

冬場の参列でコートなどかさばる荷物も係りの方がスペースを作って下さり御焼香も着席したままで年配の方への配慮を感じました。

通夜が始まってから訃報を聞き付けた方が沢山いらっしゃり叔父の人柄交友関係の広さを改めて知りました。

場所がらなのか車で斎場にみえる方が多く斎場付近での渋滞、駐車場は満車だったようで
参列に遅くなってしまった事を申し訳なく謝っていかれる方がいらっしゃいました。

係の方の配慮で翌日の「告別式の時間が早まりました」とお知らせくださり(実際には予定通りなのですが)
早く来てくださいねとは言わない心遣いを学びました。

沢山の方に見送られる素敵な葬儀でした。

この記事を書いた人

木南 健(きなみ たけし)

後悔を残さない最期を

数年前に父が急死した際、今の仕事に就いていればどれだけ母や兄妹の支えになれたのだろうと考えることがあります。
過去は変えることはできません。

あの日、抱いた悲しみや不安の根底にあったものは父をしっかり送ってあげたいという想いです。

同じように、大切な人との別れによる「悲しみ」「不安」を抱く方々の支えとなり、その根底にある「大切な想い」を形にするお手伝いができればと思っています。

心に残ったこと

まだ駆け出しの新人だったころ、お葬式が終わった後、喪主様に笑顔で力強く握手をされたことです。

期待にお応えできたんだと言葉以上に感じることができ、とても嬉しかったです。

出身:岡山県岡山市

趣味:弓道、読書

好きな映画:「サトラレ」

好きな音楽:BEGIN