投稿日:2015-12-26 更新日:2017-07-09

信徒と寺院の数はNO.1、浄土真宗の葬儀の挙げ方と参列者のマナーのまとめ

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浄土真宗という宗派についてご存知でしょうか?

実は、日本にある寺院のうち、最も多くの寺院が所属しているのは浄土真宗なんです。

ここでは、浄土真宗のお葬式における決まりやマナーをはじめ、その歴史や教えについてまとめました。

浄土真宗でお葬式をあげるときの決まり

浄土真宗のお葬式には、他の主な宗派と違う点が多々あります。

まず、浄土真宗は戒を授けないため「戒名」はなく「法名」をいただきます。
法名は「釈」を頭につけた3文字、あるいはその上に院号などをつけたシンプルなものです。

これは、字数や院号の有無により死後の位が決められるのではなく、衆生は等しく浄土に生まれるという教えから成っています。

また、他の主な宗派では故人が一度家に帰ってきたときに仏壇を閉じ、僧侶は布団や棺に休んでいる故人に対して枕経をあげます。

しかし浄土真宗では逆に仏壇を開き、故人ではなく仏壇の本尊である阿弥陀如来に向かってお経を唱える場合が多いのが特徴です。

さらに、浄土真宗の門徒が多く信心深い地域ではとくに、位牌を用いません。
掛け軸に法名を書いた法名軸や、過去帳に法名が書かれます。

また、阿弥陀様の導きによって亡くなるとすぐに浄土へ到着するという考えから、白装束を着る旅支度を行いません。

一般的に、友引の日にはお葬式を行わないものですが、浄土真宗の場合、あまり気にする必要はありません。

友引はその字から「その日にお葬式をすると友が死者に引っ張られる」とされていますが、俗信を嫌う浄土真宗は日の吉凶に惑わされることがないためです。

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浄土真宗のお葬式に参列するときのマナー

浄土真宗のお葬式に参列するときには、香典の表書きに「御仏前」と書きましょう。

浄土真宗では浄土までの旅をすることなく、亡くなるとすぐに阿弥陀様によって浄土へ導かれるためです。

花や供物の種類にタブーはありませんが、供物にのしをつけるようなときにも、やはり「御仏前」を使いましょう。

焼香の回数は宗派によってさまざまですから、司会進行の案内通りに行いましょう。

肝心なのは、抹香をおしいただかないことです。

一般的に、焼香は抹香を額におしいただくものというイメージがあるでしょう。
しかし、浄土真宗では違うので注意します。

なお、お線香は2つに折り、火をつけた後は寝かせて炉に置きます。

焼香は、司会から特別に回数の指定がない場合は自分の信仰する宗派に則って結構です。

ただ、線香だけは、香炉の構造上立てられないこともあるため、横に寝かせるようにしましょう。

浄土真宗の歴史

浄土真宗は、浄土宗をもとに親鸞が展開させた宗旨です。

親鸞は、今から約800年前、京都に生まれました。
幼くして両親と死別し、9歳で出家を志し比叡山天台宗の僧侶となりました。

しかし、次第に自力での修行に限界を感じるようになります。
そして29歳のとき、ついに天台・法華の教えに絶望し下山を決意しました。

下山後、夢のお告げに従って京都・吉水の法然から教えを受け、入門しました。

法然は親鸞を高く評価し、次第に重要な役目を任せるようになります。
また親鸞も、法然に師事できたことを生涯の喜びとし、その教えを深めるべく日々努力を重ねました。

その過程で、親鸞の布教する教義が少しずつ、本来の浄土宗から分岐していきます。

親鸞の死後、弟子たちは親鸞の教えを受け継いで民衆に説き、浄土真宗は各地に広がっていきます。

その一方で、親鸞の曾孫にあたる覚如は自分こそが親鸞の正統な後継者であると主張し、本願寺を建てました。

それに対し、他の弟子たちは別の寺を根拠地として、本願寺に対抗的な立場を取り始めます。

1592年、本願寺の顕如は、すでに長男の教如が跡継ぎとなっているのにもかかわらず、豊臣秀吉の支持を受けた三男の准如を跡継ぎにすると遺言を残し死去しました。

遺言に従って准如は後を継ぎ、教如は隠居しました。

しかし1602年、徳川家康は教如に本願寺のすぐ東の土地を与え、本願寺を分立します。

徳川家康の狙いは、当時最大の宗教勢力であった浄土真宗本願寺派を分立させ、その勢いをそぐことにあったといわれています。

こうして、本願寺は教如を宗主とする東本願寺(真宗大谷派)と、准如を宗主とする西本願寺(浄土真宗本願寺派)に分裂しました。
その後、明治維新後の宗教再編時には浄土真宗本願寺派のみが「浄土真宗」として申請を行い、そのほかの宗派は「真宗」として申請しました。

これが今の名称にも影響を与えています。

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浄土真宗の特徴

『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』、『阿弥陀経(あみだきょう)』の3つが浄土真宗の経典であり、まとめて浄土三部経といいます。

浄土三部経には、阿弥陀仏のことが主に説かれています。

中でも親鸞は「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」と、釈尊の本心が説かれている経典は『大無量寿経』ただひとつであると断言しました。

全ての人は往生できるとする教えから、宗教儀式や習俗が少なく、加持祈祷なども行いません。
位牌や神棚、お札などはなく、お盆にも送り火や迎え火はしないとされています。

合理性を重んじ、作法や教えも簡潔であったことから、近世には庶民に広く受け入れられましたが、他の宗派からはかえって反発をまねき、「門徒物知らず」(門徒とは真宗の信者のこと)などと揶揄されることもあったようです。

また、他の仏教宗派に対する真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許されるという点です。

そもそもは、「一般の僧侶という概念(世間との縁を断って出家し修行する人々)や、世間内で生活する仏教徒(在家)としての規範からはみ出さざるを得ない人々を救済するのが本願念仏である」と法然から継承した親鸞が、それを実践し、僧として初めて公式に妻帯し子をもうけたことに由来します。

そのため、真宗には血縁関係による血脈と、師弟関係による法脈の2つの系譜が存在します。
与えられる名前も戒名ではなく、法名といいます。

本願寺派の特徴

親鸞の墓所を発祥とする「本願寺」を本山としています。
本願寺派に所属している寺の数は10497にものぼります。信者数は約694万人です。

これは浄土真宗および真宗の各宗派中最も多く、また仏教系の宗教法人の中でも最大数を誇っています。

宗教法人全体でも、神社本庁についで2番目に多い人数となっています(2000年12月31日現在)。

明治時代の初期に、西欧の三権分立をまねて立法(宗会)・行政(宗務所)による施策決定システムをつくりだしました。
これは、明治政府の構築のモデルになったともいわれています。

現在でも、総局・宗会・勧学寮・監正局という4つの機関に権力を分けて与えています。

教義をわかりやすい形で広めるため、第23代門主勝如により「教章」が制定され、その後2008年に一部改正されました。
「私の歩む道」という副題がついています。

具体的には、以下のような内容になっています。

教義「阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」

生活「親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る」

宗門「この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」

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大谷派の特徴および本願寺派との相違点

大谷派は京都にある「真宗本廟」(通称:東本願寺)を本山としています。
浄土真宗本願寺派(通称:西本願寺)との区別の便宜上、「お東さん」「お東」などと呼ばれます。

所属寺院数は、約8,900寺となっています。

大谷派の最高規定である「真宗大谷派宗憲」では、「本派は、宗祖親鸞聖人の立教開宗の精神に則り、教法を宣布し、儀式を執行し、その他教化に必要な事業を行い、もって同朋社会を実現することを目的とする。」と定められています。

本願寺派と大谷派は、前述したように政治的な理由もあり分裂したもので、教義にそれほど大きな違いはありません。

違いは作法などの細かい点に見ることができます。

最もわかりやすいものが、仏壇のおかざりの姿です。
亀の背中に乗った鶴が口に蓮軸をくわえている、鶴亀燭台(ろうそく立て)があれば大谷派です。

これに対して本願寺派では、銅に漆塗りの宣徳製の燭台が用いられています。

また、焼香の回数にも違いがあります。
大谷派では2回、本願寺派では1回と決められています。

本山の伽藍配置も、御影堂と阿弥陀堂の位置関係が逆になっています。
大谷派では阿弥陀堂が左、御影堂が右になっています。

さらに、堂内の外側の柱が大谷派は丸、本願寺派は角、畳の敷き方も大谷派は縦、本願寺派は横と決められています。

日常の勤行で読まれる勤行本は、両派とも同じ「正信念仏偈」を用いているのですが、節まわしに違いがあります。

「南無阿弥陀仏」を本願寺派では「なもあみだぶつ」と唱えるのに対して、大谷派では「なむあみだぶつ」と唱えます。

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浄土宗と浄土真宗との違い

親鸞は著書において、法然(源空)を「智慧光のちからより、本師源空あらはれて、浄土真宗ひらきつゝ、選択本願のべたまふ」と述べました。

ここで記されている「浄土真宗」とは「浄土を顕かにする真実の教え」、つまり法然から伝えられた教えのことを指しています。

彼は法然を非常に尊敬しており、彼の教えを継承し伝えることこそを喜びとしていました。

ですが親鸞の死後、彼を師と仰ぐ者は、親鸞の教義こそが浄土への往生の真の教えであると考えるようになり、「真宗」を名乗るようになりました。

浄土真宗と名乗ることは浄土宗の否定とも取られかねず、浄土宗派からの反発をまねく恐れがあるため避けたようです。
最終的には江戸時代に入ってからようやく、「浄土真宗」と名乗ることが認められるようになりました。

浄土宗も浄土真宗も「他力本願」という考え方を持っている点で共通しています。
浄土宗では、他の行いを一切捨て去り、念仏を唱えることで仏の力(=他力)により極楽浄土に往生できるとしました。

この念仏とは、仏への感謝の気持ち、すなわち「南無阿弥陀仏」です。
浄土真宗はこれよりさらに一歩踏み込み、念仏を唱えることすら必要ないとしています。

念仏を唱えようとした段階で、すでに信心が心の中にあるので、これを持ったままで、一切の物事を阿弥陀仏にお任せすればよいとしています。

この念仏に関する解釈が、浄土宗と浄土真宗では決定的に違うのです。

この記事を書いた人

furuhashi

古橋 篤(ふるはし あつし)

チームで支えるお葬式

数年前に父を亡くした時、東京葬儀にお葬式を依頼しました。
その時の担当プランナーに助けてもらったこと、東京葬儀の想いに共感したこともあって、今の自分がいます。

自身の経験から、お客様の負担、不安を取り除き、最後のお別れに想いを向けていただけるよう心がけております。

お客様の声をよく聞き、その想いを実現することが私の仕事だと考えます。

furuhashi
心に残ったこと

自分が育成したプランナーがご家族から「ありがとう」と言われている姿を見たときです。

しっかりとご家族とコミュニケーションをとり、提案し、一緒にひとつのお葬式を創り上げている姿をみたときは東京葬儀の想いが受け継がれていると嬉しい気持ちになりました。

出身:東京都

趣味:バレーボール、料理

好きな映画:「リトルダンサー」

好きな音楽:クラシック

東京葬儀
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