骨壺は終の住み処

永久の住処である骨壺、日本伝統の九谷焼を選べます。

骨壺は
「終の住み処」
「第二のマイホーム」

ご家族の多くが、
楽しそうに故人のための
骨壺選びされています。

骨壺は、故人が今後数十年~数百年と過ごす空間

日本国内の景況を反映してか、
葬儀自体や、当然「骨壺」にも、お金をかけない方々が増えてきています。

それを物語るのが、近年国内で流通する骨壺の、
約85%が外国製の量産品という事実。
飾りも何もない、ただの白い陶器です。

私たちは骨壺を、
「ついのすみか(終の棲家)」
「第二のマイホーム」
と考えています。

私たちが出会ったご家族の多くが、
楽しそうに故人のための骨壺選びをしていただけます。

日本には素晴らしい伝統技術があります。
時代の流れに逆らいながらも、伝統の陶器を頑なに創り続ける陶工たち。


「きれいに、とにかく綺麗に」
「一点一点、妥協なく」
「この世に同じものは二つとない」

そんな陶工たちの想いも込めて、
日本全国の窯元より、美しい骨壺をお届けいたします。

九谷焼の骨壺

九谷焼のルーツ

石川県の伝統工芸として伝わる九谷焼。
その名の由来は、焼き物の原料となる陶土が、九谷村で採掘されたことによります。


九谷焼の歴史のはじまりは、江戸時代は明暦年間のこと。
加賀藩主・前田利家の孫、前田利治がおさめる大聖寺藩で陶土が発見され、
利治は磁器の制作を思い立ちます。
その命によって後藤才次郎が備前有田で陶磁器技術を学ぶためにつかわされ、
明暦元年(1655年)頃、帰藩した才次郎のもと、九谷の地で色絵磁器の窯が
はじめて開かれたといいます。
九谷焼の誕生には、大聖寺藩主利治が、小堀遠州に師事した茶人でもあったという
幸福な偶然にも、由るところがあるようです。
非常に不便な山奥に窯をつくった理由に、九谷焼製造をカモフラージュに
鉄砲の密造をしていたとの説もあります。

九谷焼とは

九谷焼は、磁器といわれる硬いガラス質の白い地に、緑・赤・黄・紫・紺青の
五彩といわれる色絵が施されています。
艶やかな光を通す磁器に描かれた、さまざまな文様の楽しみ、
丈夫で汁気や油脂などがしみこまないという特長のおかげで、
永きにわたり、主に食器として親しまれています。

「上絵付けを離れて九谷はない」といわれるように、
あざやかな五彩で描かれた色絵は九谷焼の最大の魅力です。
絵付けには、美しい色味をもとめて、
各家がそれぞれに調合を重ねて創りあげてきた絵具が使われています。
五彩の筆頭にあげられる「緑」は、九谷焼では「青」と言い、
透明感のあるブルーグリーンの色彩は、とくに調合がむずかしいものだといいます。

銀彩(ぎんさい)

銀彩とは銀箔を貼り付けてその上から釉薬を施す技法です。
昭和26年頃に考案されたと言われています。

釉薬には透明釉や九谷五彩が用いられ、
下に貼った銀箔が透き通って見えるようになっています。
銀彩により2色以上の釉薬をあわせて使うことでグラデーションを出し、
より豊かな色彩表現を可能にします。

貫入(かんにゅう)

細かくひび割れているように見えるのは「貫入」。
釉薬と素地の収縮率の差により、焼成後の冷却時に発生します。
収縮率の差が大きすぎると釉薬が素地から剥がれてしまい、
そこにも微妙な加減が必要。
貫入は熱い窯から取り出した直後の冷却段階で沢山入ります。

その際に発生する「ピンピン」という音は大変美しく神秘的。
なお貫入は、冷却段階で終わる訳ではなく、その後も数年かけて、
少しずつ、少しずつ入り続け、年々その表情を変えていきます。

九谷焼の現状

九谷焼の絵付けを行っているのは、全て家単位の家内工業。
最盛期には約400軒あったと言われていますが、
現在は石川県能美市、加賀市を中心に100~120軒ほど。

技能者の高齢化が進んでおり、後継者不足により技術の継承が問題となっています。
殆どの家が夫婦もしくは親子で、本当の「家業」として行っています。

生産者のこだわり

銀彩という比較的新しく、その美しさゆえに多くの人の支持を得る技法に特化。
表面に現れる銀の表情、それを包み込む柔らかな色彩を生み出すために、
日々研究を重ねています。
その技法は、銀箔の厚さ、張り方、
それぞれの工程で幾度となく塗りこまれる様々な種類の釉薬、色の調合、
4工程行われる窯入れそれぞれの温度、時間等々、門外不出となっています。

釉薬の調合、窯の温度、時間等は、季節、気温や湿度により繊細な調整を必要とし、
長年の経験と勘だけが頼りとなります。

銀箔の厚さ、張り方、絵付け、釉薬の塗り方等々により、多彩な柄が現れます。
最後表面に現れるその柄は、窯から上がるまで目には見えず、
やはり長年の経験と勘だけが頼りとなります。
「よい(美しい)ものを」「きれいに、綺麗に」、家の皆が揃って同じことを口にします。
天然の素材を使い、一つ一つ手創りのため、同じものは二つと出来ません。

逆に「同じものを二つと創らない」、というこだわりから、
一つ一つにあえて微妙な変化を付けています。

広島県福山市の工房 烙印:「九谷宗秀」
家長:山上 明弘(60歳)
父、兄、に継ぐ3代目。21歳から自然と父親の仕事を手伝う様になり、九谷焼一筋40年。
陶工:
母  山上松枝
妻  山上恵美子
長男 山上拓郎
長女 山上桐代
妹  東方由美子
親戚 廣見武志

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